先日、また1つ無事に歳を取りました。
普段の休日とあまり違いはなかったのですが、家からちょっと離れた街に出かけて、
少し前に見つけたお気に入りのパン屋さんに行って、軽いランチを食べて、パンを買って、
そして大好きなスリフトストア巡りをして、
クラフトビール屋さんにももちろん行って、
なかなか充実した1日を過ごせました。
それは誕生日前日だったんですけど、誕生日当日は、Starbucksが誕生日だとフリードリンクをくれるので、スタバで勉強したり、動画の編集をしたりして過ごしました。
ちょうど暑かったので、そう、家の中もすごく暑かったの。
だから涼しさを求めてスタバにいたっていうこともありましたけど。
そして、サーティーワン、アメリカではBaskin-Robbinsですね、サーティーワンのアカウントを持っていたっていうことをすっかり忘れてたんですけど、誕生日と当日にメールが来て、誕生日のフリーアイスをもらえるということだったので、
スタバの帰りにサーティーワンにも寄って、アイスクリームも食べて帰ってきました。
そんな誕生日でした。
どんどん大人になっていきますけど、そして白髪も増えていきますけど、
いつまでも責める姿勢を忘れずに、私らしくまた1年、次の誕生日まで過ごしたいと思います。
さて、今日のエピソードでは、アメリカに来てから性格が変わったんじゃないか?というお話をしたいと思います。
★英語の話
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アメリカ生活とは切っても切れない大きな大きな大きな壁、英語についてお話しているコーナーです。
アメリカで暮らし始めてからもうだいぶ経ちますが、ずっと考えていることがあるんです。
私、日本にいた時と比べて性格が変わったなぁって。
私が考える、自分自身の性格って、
いろいろ考えすぎたり、ネガティブ思考な面もありますが、対人、人との付き合いの面では、かなり社交的な方だと思っています。
基本的に明るくて、初対面の人がいるような場でもけっこう積極的に立ち回る方だと思いますし、おそらく周りからも同じように見られているのではないかと思っています。
そう思ってたんですけど、
アメリカに来て以来、それが変化した、自分の性格に変化が生じたような気がするんです。
あまり自分からグイグイいけなくなった、引っ込み思案になったというか、
暗くなった、は言い過ぎですけど、
社交的だね、とはもう言えないじゃないかな、と自分で感じています。
最近、コミュニティーカレッジでクラスを取り始めて、はじめましての人たちに囲まれて毎日過ごしていて、
改めて色々考えているので、
今日はそんな話をしたいと思います。
アメリカに来てから性格が変わった、
日本にいたときの性格はこうだった、それに対して、現在アメリカにいるときの性格はこうだ、
という、住んでいる国の違いというよりかは、
やっぱり言葉の違いが大きいのではないかと思うんですよね。
日本語環境での性格と、英語環境での性格が違うということです。
日本語だと母国語なので、当たり前ですけど、話しやすいですし、自分の言いたいことが言える、表現の引き出しも多いので、その時の状況に応じて自由に言葉を操ることができるんですよね。
でも一方で、英語だと、
日常生活を送る程度は話せるようになりましたけど、やっぱりこう思うように話せない、自分が話したいことを100%全てを相手に伝えることができないので、
だからなのかな、
積極的に人と接しようって、できなくなっちゃった気がするんですよね。
日本にに住んでいるから、アメリカに住んでいるから、
ではないんですよね。
実際、アメリカで出会った日本人の友達たち、こっちにいる日本人の友達たちは、私のことをおそらく「よくしゃべる人」と認識していると思います。
例えば、さっきも話しましたけど、カレッジに行き始めたんですが、友達が全然できないんですよね。
クラスがスタートして3週間経ったんですけど、友達どころか、知り合いというか、なんて表現したらいいんだかわからないんですけど、顔見知り?
ちょっと話すようなクラスメートも、まだ1人もいないんです。
寂しい。ロンリー。
自分からはなかなか話しかけることができなくて。
誰か仲良くなれそうな人はいないかなぁ、って周りを見渡してはいるんですけど、
今のところ、特に誰とも距離を縮められずにいます。
寂しい。
カレッジのクラスなんて、もしかしたらこんなものかもしれないんですけどね。
高校からそのままカレッジに来ているなら、もともとの友達がいるかもしれないですけど、
そうじゃない人って、
別に友達が欲しい!誰かと話したい!って、
こんなに私みたいに寂しい寂しい言ってないで、淡々と学校生活を送っているんでしょうかね。
私が寂しがり屋なだけなんですか?
別のシチュエーションだと、
去年、私、一年、週一でタップダンスのクラスを受けていたんですけど、
そこでの人付き合いも、あまり上手くいかなくて、いや、上手くいかなかったとかじゃないんですけど、何かトラブルがあったとかではないんですけど、
なんていうのかな、あまり周りとコミュニケーションをうまく取ることができなくて、みんなの輪に入って行けなかったって言ったらいいんですかね。
たぶん周りから私は「すごく静かな人」って思われていたと思います。
自分で自分を、
あれ、私、こんなんだったっけ?みたいな。
自分がね、静かに黙々とダンスだけに集中してやりたいと思ってるならいいですけど、
私はもっと周りと話したいし、仲良くなりたいしって、そういう気持ちがあるんですよね。
でも自分からはなんかいけなくて。
これまでもよくありましたし、これからもよくありそうなシチュエーションとしては、
例えば旦那さんの友達に会った時とか、旦那さんの職場の仲のいい同僚の人と私も含めて一緒に飲みに行くことになったとか、
あとはまぁこの前あったんですけど、私の友達と一緒にご飯を食べてて、そこにその友達の彼氏が合流したとか。
こういう時って、なんか私、人見知りみたいな感じになっちゃってあまり話せないんですよね。
日本語だと全くそんなことはないんですけどね。
なんて話しかけたらいいのかがわからないのかな?
自分でも、なんでこんなに消極的になっちゃっているのかな、って感じなんですけど、
まぁ、そうなんだろうなぁ。
別に何でもいいから話しかけろ、と言われたら話しかけることできるんですけど、
その場の空気を読むとかね、何か気の利いた一言を言いたい、とかっていう気持ちが、たぶん私の中にあるんですよね。たぶん。
日本語であっても同じだと思うんですけど、
日本語であればそんなに深く考えなくてもそれができるっていうことだと思うんです。
なんて話しかけて、
その後どうやって会話を続ければいいのかっていうのが不安になっちゃってるのかな。
まぁ、考えすぎですね。
そう、私、考えすぎなの。自分でわかってます。
でも、考えすぎだとわかっていても、なんかね、難しいんですよね。
そんな深く考えなくても、話したいなと思う人に話したいことを話せば、話しかければいいんですけど、
そう思うんですけど、それができないんですよね。
そうなのよ。
同じように感じている人いませんか?
英語だと、英語に限らず母国語ではない言葉で人と接するときに、普段の自分が出せない、素の自分が出せない、
そう感じる人、いませんか?
でもさ、時々、驚くほどコミュ力高い人いますよね。
英語だ、母国語だ、とか、そんなこと関係なくて、
どんな環境でもどんな言葉でもガンガン自分から周りと話せる人っていますよね。
ああいう人、憧れるなぁ。
だから、要は気持ちの持ちようなんでしょうね。
言葉が云々かんぬんという心配とかはせずに、本当に人と話したい、コミニケーション取りたい、そう思うことができればいいんだろうなぁ。
でも、今回この話をするにあたってずっと色々考えてて、
英語に苦手意識があるから、英語環境では性格が変わっちゃう、消極的になってしまう、
そう思っていたんですけど、
よくよく振り返ってみると、
実は日本にいる時から、「日本語環境でも」って言った方が正しいか、
私自身の性格は変わってないんじゃないのかな、人と接するときに心の中にある感覚は変わってないんじゃないのかな、
と思えてきたんです。
後半に続きます。
★結局、英語でも日本語でも同じ説。
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実際、日本にいる時、日本語を話している時ですね、
さっき社交的だと自分を表現しましたけど、社交的になれる条件みたいなものがある気がしていて、
話している相手とか、その場の雰囲気が自分に対して好意的な感じだったり、壁を感じないと、自分もどんどん開いていける、話が弾むんですよね。
だから俗に「コミュ力お化け」みたいな感じで、誰とでもどんな人に対してもガンガン話していける、どんな状況でもその場を回しちゃうみたいな、
そういうタイプでは私はなくて、
あくまでも自分を受け入れてくれそうな人、受け入れてくれそうな環境で、そう、社交的になれるタイプだと思うんです。
やっぱり時々あるじゃないですか、
めっちゃアウェイ感を感じる集まりとか、
あ、この人私のこと嫌いなのかな…って壁を感じることとか。
そういう時って、そんなに私話せないんですよね。ガツガツいかないです。
ま、みんなもね、基本的にそうだと思うんですけど。
私、結構気にしすぎちゃうところがあって、
なんか、この人私に対してよく思ってないだろうな…とか、
なんか、このグループと仲良くしてるって私は思っているけど、みんなはどうなのかな?実はそんなに深い付き合いはしているとはみんなは思っていないんだろうな…とか。
そういうことをけっこう敏感に感じちゃうタイプで、
これまでも何回も反省したというか、後悔したというか、自分では直したいなぁって思っていることでもあって、
ちょっと壁があるなぁ…と思い込んで、
でも壁を作っているのは、実は自分だった、みたいな、そいういうことがあるんですよね。
「私、すごく繊細で、気にしぃなので、相手が私に壁を作ってるって、すごく敏感に感じ取って、なかなかうまくコミュニケーション取れないんですよね…」
って思っているけど、実は相手は全くそんなことを思っていなくて、すごくウェルカムだった、みたいな。
それを私が勝手に被害妄想って言う表現が正しいのかな、勝手に自分から壁を作って、で、遠ざかっちゃう、みたいな。
一線ひいてしまっているのは私だった、みたいな、そいういうことがね、時々ある気がするんですよね。
これまでのそういう状況を自分なりに分析すると、
自分に自信がない状況、環境だと、
勝手に
あ、この人は、この人たちは、私「なんて」受け入れてくれるはずがない…
と、思っちゃってるような気がします。
わかります?
卑屈になっちゃうというか。
それを感じたことが昔あって、
ずっとこれ、自分の心の中に引っかかっていることなんですけど、
とあるグループ、私が仲良くなりたいな、深く関係を築きたいな、と思っていたグループがあって、ある時、そこに入れることになったんです。
実際、そのグループのみんなと一緒に時間を過ごすことになったんですが、周りは自分よりも優れている人たちだったので、「私なんて」っていう気持ちがずっと心の中のどこかにあって、
やっぱり自分はよそもの、みたいな感覚がずっと消えなかったんです。
ある日、そのグループの中の1人と話していたときに
「みんなとどうしても距離を感じてしまって、何かずっと寂しかった。」
と話したんです。
そしたら、
「なんか悲しいなぁ。
こっちはずっとutacoを仲間だと思っていたのに、そんな風に思われてたんだ。」
って言われて。
それがめっちゃ刺さったんですよね。
私が勝手に自分を卑下して、
私なんかじゃ、みんなの仲間になれるわけない、私は本当の仲間じゃないみたいな、そんなことを思ってしまっていたけど、
心を開いていないのは、実は私の方で、
みんなは私のことを受け入れようとしてくれていたのかもしれない、めっちゃウェルカムだったのかもしれない。
それなのに、私は、「やっぱり無理だ」「私なんて」と思って諦めてしまっていたというか。
周りが自分よりも優れている人たちばっかりだったのであれば、もっと自分が努力すればいいだけの話だし、
自分にだって周りと比べて優れているところがあるはずだから、もっと自分の良いところに自信を持って過ごせばよかったんですよ。
そういう考えに至らず、被害者ぶっていたというか、
被害者でも何でもないんですけどね、もしも私が被害を受けたのであれば、それは自分自身の考えや行動による被害ですね。
今でもね、当時を思い出すと、胸がきゅーとします。
話の軸がずれてしまったようで、実はつながっているんですけど、
私が今感じている、英語環境だと積極的になれない…というのは同じようなことが根本にあるのではないかなと思っているんですよ。
自分に自信がない状況、環境だと、周りの人が私のこと「なんて」受け入れてくれないのではないか…
と思ってしまう、
これなんだと思うんですよね。
自分に自信が持てない原因っていくつか考えられると思うんですけど、アメリカに住んでいると、その主な原因は英語なんですよね。
だから「英語環境」だと自分は消極的になってしまう…と感じているのだと思います。
実際は、英語というのは1つの原因なだけであって。自分に自信を持てないというね。
日本にいた時に感じていた人とコミュニケーションを取る上で自分に自信が持てない原因、
それは何かに対する自分のスキルだったり、
自分の容姿だったり、
経験値だったり、
この人に対して積極的になれないな、この環境だとなんだか一歩引いちゃうな、と、
そういう壁となる原因のひとつなんですよね、英語も同じ。原因のひとつ。
何が言いたいかと言うと、
2つですね。話をまとめると2つのことに行き着いたんです。
ひとつは、
自分に自信が持てないからといって、壁を作っているのは私で、周りは受け入れようとしてくれている、
ま、そういう、めっちゃウェルカム!な感じでなかったとしても、別にネガティブな気持ちを私に対して持っているっていう事はそんな多くなくて、少なくて、
勝手に私が悪い環境を作ってしまっているだけ、私の気持ちが勝手に自分が積極的になってしまう環境を作ってしまっているだけ、っていうことがあるんだなーって。
すごくそれってもったいないことだな、
ということです。
アメリカに来てから今まで、今も現在進行形ですけど、なんか自分の中で
本当はもっと私周りとコミュニケーション取りたいのに!本当はもっと私積極的になれるはずなのに!
でも、英語環境だから思うように話せないから、難しい!できない!って、
そうネガティブに考えてしまっていたんですけど、実は自分がそう思っているだけで、自分の考えにとらわれているだけなのでは、と思っていて。
これまでのアメリカ生活でも、あの場面でもっと周りと仲良くできてたらな、あそこでもっとみんなとコミュニケーションが取れていたら違っていただろうな、
そう思うことがたくさんあって、実はそれは自分の凝り固まった英語への苦手意識が原因なだけで、
本当にもったいないことをしているのではないかと思いました。
ちょっと自分の考え方を変えていかなくてはならないな、変えるべきだな、と。
それが結果的に自分がもっと楽しく生活できることになるのかなぁと、そう思います。
ふたつめの今回いろいろ考えて行き着いたことは、
単純に、もっと自分が居心地よく感じる場所、感じる人たちを探し回ればいいんじゃないかな、
ということです。
自分に自信が持てない状況だと、人とのコミュニケーションもうまくいかない、
それは日本語環境でも英語環境でも同じなんですけど、
日本にいた頃の自分は社交的だったなって、そう思うのは、
自分が壁を感じるような人とは別に無理して関わっていなかったんだと思うんです、日本では。
これは日本語だから言葉の問題がなかったからっていうのもあるんですけど、
例えば、Aさんに何か壁を感じて、うまくコミュニケーションが取れないのであれば、別にAさんにこだわる必要はない、
どんどん次に行こう!じゃないですけど、
他にも生活の中で関わる人たちはたくさんいて、自分がこの人たちと波長が合うな、一緒にいて居心地がいいな、と、そう思う人たちと関係を深めていただけなんだと思うんですよね。
だからここアメリカでも、
なんか勝手に英語を理由にして、自分の行動範囲を狭めているというか、自分の世界を狭めているんですけど、
もっと普通に、自分が一緒にいて居心地の良い、楽な、楽しく話せそうなそういう人たちを、探せばいいだけで、そういう人たちともっと出会っていけばいいだけなのかなーと。
基本に戻るべきだなと気づきました。
私のことを受け入れてくれそうな、好きになってくれそうな人を探せばいいだけなのではないかな、と。
そうなんですよ、当たり前のように聞こえると思うんですけど、当たり前なんですけど、
これを自分が今までやってきたかと言うと、そんなにやっていなくて。
なんだろうなぁ、こういう話をしているけど、実は別にそんなに人とか関わらなくてもいいと思っているのか、
ここは日本じゃないから、異国の地だから何か仕組みが違う、同じようにうまくはいかない、と思い込んでるのか自分では謎なんですけど、
考えれば当たり前のことで、自分に合う人がそこら中、行くとこ行くとこにいるはずがないんだから、
だったら合う人を探せばいい、見つかるまで探せばいいんですよ。
実際、英語で話す人であったとしても、気の合う友達だっているし、仲良くなれそうだなぁ、って思う人だってこれまでもたくさんいたし、
そう、もしもね、壁を感じるなら、感じない人を探せばいいだけだと思うんですよ。
シンプル。
え、なんか結構な尺、話してきましたけど、
話がまとまったようで、まとまってないような気もしますが、
大丈夫ですか?大丈夫そ?
要は、
アメリカに来て、英語環境だと私シャイになっちゃう、消極的になっちゃう、そう思っていたけど、
実際そうなんですけど、
でも実はそれって私の頭の中の思い込み、考え方がそうしているのであって、
根本的な私の性格は、別にコミュ力お化けでも何でもなくて、私を受け入れてくれそうな人に対して楽しくおしゃべりができるだけ、
だからここアメリカでも、気の合いそうな人、私を受け入れてくれそうな人を探せばいいじゃん。
その探す作業、日々の生活の中で、基本英語に苦手意識を持っていて、自分に自信がないから周りが壁だらけって思うけど、それは私の思い込みなだけであって、周りは思うほど私に壁を感じてもないだろうし、ネガティブな気持ちも持っていない。
そういうことですね。
難しいし面白いですね、人の考えって。
皆さんは人とコミュニケーションを取るの、得意ですか?
日々の生活の中での人との関わりについて、
うれしいなぁ、楽しいなぁと思うこととか、逆にこれ悩んでるんだ、ということなどありますか?
言語に関わることでも、単純な人付き合いの事でも、何でも構いませんので、ぜひぜひメコメントやメッセージください。
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