さてうちの旦那さんは学校の先生をやっているのですが、無事スクールイヤーが終了して夏休みに入りました。
一年間お疲れ様でした。
パンデミックでほとんどがonlineでした。途中と最後の方で少し学校に行ったりもしていたけど、色々大変だったと思います。
いやー、本当にお疲れ様。ありがとう。
毎年この夏休みに入る時は、一区切りという感じでホッとしますね。
グリーンカード/ Permanent Residencyの申請の進捗のアップデートです。
申請の書類、我が家の場合はAdjustment of Statusっていう申請になるのですが、その書類を5月上旬に移民局に郵送して、
その書類たちと一緒に送った申請手数料の小切手が換金されたことが確認できたというご報告を先週したのですが、
そこから約1 週間後のつい先日、申請受領連絡の手紙も無事届きました。
あー良かったです。
申請受領連絡の手紙ってNotice of Actionっていう書類なんですが、
これって別にこれでグリーンカード取れましたよっていうことではなくて、あくまでも「申請を受領したので、ここから書類などをチェック処理していきますね。」っていう、いわゆるスタート地点の連絡なだけなんですけど、
でもこの時点で弾かれる人もいるし、ひとまず受領されて良かったです。
ここから次の連絡が来るまではまた少し時間がかかると思いますが、ちゃんと必要な書類を間違いなく提出できていることを願います。
どうかスムーズに進みますように。
以上、ご報告でした。
今日のエピソードでは、私がなぜアメリカに住むことになったのか、アメリカで暮らし始めた時に感じていたこと、そして今感じていることなどについてお話したいと思います。
★答えて!うたこさん
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4989のリスナーの皆さんからのご質問に答えるコーナーです。
カジュアルな質問からお悩み系の質問まで、募集していますのでお気軽に送ってください!
今日はですね、お二人の方から関連した質問をいただいていましたので、それについてお話していきたいと思うのですが、
アメリカに来ることになった時の話ですね。
フロリアンさんからで
「どうして日本で暮らす代わりにアメリカに引越ししようと思ったんですか?」
というご質問いただきまして、
そしてthe dahu hunterさん( Pronunciation 間違っていたらごめんなさい)からで、
「アメリカに来ることを決めた時、どうでしたか。迷ったり、緊張したりしましたか。それとも、ワクワクしていましたか。
それで、想像していたアメリカの生活と実際の生活は似ていますか。どう違っていますか。」
とのことです。
お二人ともありがとうございます。
アメリカに来たきっかけはずっと前に少し話しただけで、その時の様子などはあまり話していないので、
最近ありがたいことに新しいリスナーさんも増えてきたので、
改めて、経緯などを話していきたいなと思います。
アメリカに来たきっかけ、理由は、簡単に言うと、アメリカで働く旦那さんと結婚したからです。
私自身は、海外、アメリカに自分が住むことになるなんて全然考えないで人生を生きてきて、
アメリカに住みたい、住みたくない、とかではなくて、
そんな考えすらも頭に無く、普通に日本で暮らしてきました。
旦那さんと日本で付き合い始めて、旦那さんも日本人なのですが、付き合い始めた時点から将来アメリカに住んで仕事をしようと考えているということを聞いていました。
その頃は、私は普通に東京で働いてて「へー、アメリカね、かっこいいねぇ」くらいにしか思ってなくて、
ちょっと他人事みたいに聞こえると思いますが、
本当にそんな感じで、現実的に想像できなかったというか、アメリカに住むとか考えたこともなかったので。
で、付き合い始めて1年ちょっとで、その当時まだ彼氏だった旦那さんはアメリカの大学で勉強するために日本からアメリカに一人で来ました。
留学ですね。
その時点では、私はそのまま日本に住んでいたので、日本とアメリカの遠距離となったんですが、
はじめから、大学を卒業して働けるようになったら私をアメリカに呼ぶから、結婚しようと、そういう話はしていました。
合計3年間旦那さんは大学で勉強して、要するに3年間離れ離れで付き合い続けました。
その3年間、私的にどう思っていたかとうと、
ぶっちゃけ、その時点でもあまり自分がアメリカに行くって想像できていなくて、
「彼氏がアメリカでがんばって勉強しているなぁ」くらいの。
というのもね、最初の1年はけっこう頻繁に毎日のようにビデオ電話、当時はラインじゃなくてスカイプでしたね、をしてましたが、
2年目3年目になってくると連絡を取る頻度とか、ビデオ電話や電話で話す頻度が減っていって、
旦那さんも勉強で忙しくしてましたし、
私は私で仕事とそしてタップダンスもその頃、よりガッツリやっていた頃で毎日忙しくて、
一応連絡を取り合って、お互いのことを想い合っているけど、それぞれの自分の生活で忙しくてって感じだったんです。
だから、その頃はまだ自分がアメリカで暮らして…みたいなイメージなんてまだ全然してなかったですね。
結果ね、私も当時日本での自分の生活が忙しかったのが良かったと思うんですが、
普通に考えて遠距離恋愛、しかも国をまたぐ遠距離で3年ってなかなか厳しいじゃないですか。
心のどこかで、いや、旦那さん、当時はまだ彼氏ですけど、旦那さんのこと好きでしたけど、好きだったんですよ、
でも、心のどこかで3年も私達続くかな?みたいな。ってのが心配というかね、思ってて、
旦那さんがアメリカで金髪の美女に出会って私が捨てられるかもしれないし、
逆に私が日本でめっちゃイケメンのIT会社の社長と恋に落ちるかもしれないし、
私達どうなるのかなーみたいな、
不安というか、何て言ったらいいのかわからないですが、そんな感じで、
わざと意図的に、あまりシリアスに考えないようにしてたかもしれないですね。
遠距離恋愛で、離れ離れの状態であまり考えすぎちゃうと良くないというか、これは完全に私の持論ですけど。
もちろん相手のことを想って、将来のことを考えてっていうのは大事だし、みんなそうすると思うんですけど、
あー、彼は今何をやってるんだろう、次はいつ会えるんだろう、寂しい、寂しい、
あー、浮気してないかな、心配、心配。
みたいに考えすぎるのは良くないと思うんですよね。
そういう意味ではお互い自分の生活に忙しくて、考えたり悩む時間がないって言ったほうが表現的にはあってるかもですが、
私達の場合はそうだったのが良かったんだなーって、
結果論ですけどね。思います。
で、いよいよ旦那さんが大学を卒業する半年前くらいですかね、
卒業がほぼ確定、このまま行けばもうすぐ卒業するってなって、
仕事を探して卒業したらそのままアメリカで働くことになるってことが現実味を帯びてきて、
やっと私も、お、これは、私もアメリカに本当に行くんだわ。みたいな。
もちろん、それ以前からも話はしてましたけど、
そのくらいの時点で、これはマジだな。と、なってきましたね。
でも私がアメリカへ引っ越すための、アメリカで暮らすための準備みたいなのは全然しなかったんですよ。
英語をめっちゃ勉強するとか、日本にいるうちにお金を貯めるとか、
そいうことをした方がいいだろうなとは思っていましたが、
それと同時に、日本での東京での生活をやりきりたいっていう考えがありました。
本当にアメリカに引っ越すとなったら、もう日本での生活は一旦終わるわけで、
残された時間を後悔しないように過ごさなきゃ、みたな、
私の場合はタップダンスだったんですけど、
その当時、タップダンスができる恵まれた環境にいて、それをやりきろうと思って。
だから、最後の最後まで、そんなにアメリカに住み始めたらどうする、それに向けて何をする、みたなことはしてなくて、
自分の目の前の生活にフォーカスしていました。
そして、すごく細かな時間の経緯の話になっちゃうんですが、
その年の夏、8月いっぱいでタップダンスの仕事を辞めて、東京から静岡の実家に戻りました。
9月1ヶ月実家で準備というか、のんびりして、
で10月の初めにアメリカに来ました。
頂いた質問の中にアメリカに来ることを迷いましたか?というのもあったんですが、
迷った?
迷ったか、迷ってないかと聞かれたら、迷ってないですね。
それほど深く考えてなかったのかな、なんかすごく重要な部分だと思うんですけど、あんまり覚えてないんですよね。
なにそれって感じですけど。
私の場合、旦那さんと結婚する=アメリカで暮らすってことだったんですけど、
なんなんですかね、けっこう自然な感じで、
流れに身を任せていたら、気づいたらアメリカにいた…。みたいな。
自分でも面白いな、意外だなって思うんですが、
私って基本的にすごく心配性なんですよ。何に対しても大丈夫かな?ってすぐ心配になっちゃう
タイプなんです。
でもアメリカに来ることについては、あまり心配とかもしてなくて、
本当に謎なんですけど、そう、心配とか迷いとかは全然なかったんですよね。
そんな経緯でアメリカに引っ越すことになりました。
そこからの話を引き続きしていきたいと思います。
★アメリカに来た経緯ー続き
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お話したように、渡米について迷ったりってことはなかったんですが、
いざ、本当にアメリカに来るってなった時は緊張はしましたよね。
想像もつかなくて、やっぱり一番は英語が大丈夫かなってことで、
あとは生活が日本とどう違うんだろうとは思いましたけど、
まぁアメリカなのでね、文化的な違いや食べ物の違いみたいなのはあるでしょうけど、
例えば電気や水道がないジャングルに引っ越すわけはなかったので、
基本的な暮らし方は同じじゃないですか、なのでそういう面ではあまり、それほど心配とか緊張はしませんでしたけど、
英語がね、言葉がちょっと大丈夫かしらって、緊張しましたね。
でも緊張よりもワクワクの方が大きかったかな。
ずっと離れて暮らしてた旦那さんと一緒に暮らせるっていうのと、
国をまたいでの大きな引越しで、新しい生活のスタートってことで、ワクワク、楽しみだなっていう気持ちの方が大きかったです。
人生をリセットみたいな、ちょっとね、そんな感覚だったかも。
実際、日本の家族や友達と連絡は取るものの、アメリカには旦那さん以外には友達も知り合いも1人もいなかったので、
新たな旅立ちって感じですよね。
不思議ですね。
日本を離れて寂しい、不安って気持ちも無かったわけではないですけど、
それよりも新たな環境で知らない場所で生活することへの期待とかワクワクした気持ちの方が大きかったです。
いやー、心配性の私らしくなくて、本当に不思議。
うん、でもそうでしたね。
旦那さんと結婚しよう、そしてアメリカに引っ越そうと決めて、
東京での生活に区切りをつけて静岡の実家に戻った私ですが、完全にアメリカで暮らすまでにもうワンクッションありました。
どういうことかというと、
まず結婚する前に観光ビザでアメリカに来て、観光ビザでは3ヵ月滞在できるんですが、 3ヵ月滞在して、
そして一旦2人で日本に戻ってきて、正式に結婚して、パスポートとかビザ諸々の準備をして、まあ本当にアメリカに引っ越すという、
そういうプロセスで進めました。
その背景には、
うちの父が、私のお父さんが、
まぁ、そう焦るなと。言いまして。
一旦結婚前にアメリカに行ってみて、アメリカでやっていけるのか、アメリカで生活していけそうなのか、
そして本当に結婚したいのか、2人でやっていけるのか、っていうのを確認してきなさいと。
言われたんです。
親心ですねぇ。
いやぁ、だいぶ心配してたと思います。お父さんもお母さんも。
今でも心配されてますけどね
確かに、さっきもお話ししましたが
別に私は若い頃からアメリカに住みたい、海外に住みたいって考えがあったわけでもないし、
アメリカ生活に向けて何年も準備していたわけではないので、
実際に引っ越して、こんなはずじゃなかった!やだ!アメリカに住めない!日本に帰りたい!
ってなっちゃうかもしれないし、
旦那さんともね、その時点でトータル4年半とか、付き合っていましたけど、
後半3年はずっと日本とアメリカの遠距離だったわけで、
一緒にいた時間は実際は1年半なんですよね。
だから父親的にはアメリカ生活についてももちろんですけど、
そんな離れ離れで長くいた相手と本当に結婚していいのかってことをちゃんと確認してきなさいってことだったと思うんですけど。
と同時にですね、その時旦那さんがもうこっち、アメリカで仕事をスタートしていて、
学校の先生なので中等半端な時期には日本に戻ってこれないんですよね。
だからその時点で旦那さんが次日本に戻れるタイミングが冬休みだったので、
そういう仕事のスケジュール面も考慮して、
ひとまず私は観光ビザで10月にアメリカに行って、約3ヵ月弱滞在し、
そして年末に2人で一緒に日本に一旦帰ってきて、正式に結婚、籍を入れました。
その後結婚したので、パスポートを新しくして、ビザの手続きとかで 2ヵ月半とかかな、かかって、
旦那さんは先にねアメリカに戻って仕事を引き続きしてたんですが、
私はその手続きで日本に残って、で3月中旬くらいかな、に完全にアメリカに引っ越して来ました。
はい、そして質問してもらいました、想像していたアメリカの生活と実際の生活は似ていたか、違っていたか?という点については、
私の中でのTheアメリカ!なイメージとは違ってましたね。
というのも、けっこう前のエピソードで何回か話したことがあるのですが、
私たち夫婦が一番初めに住んでいた所がとても小さい町で、更にはメキシコやその周辺からの移民が人口の大半を占めていた町で、
私は勝手にリトルメキシコって呼んでるんですけど、
本当に家の周りを見渡してもメキシコ人やヒスパニック系の人しかいなくて、
スペイン語しか話さない人たちもたくさんいて、
アメリカで生活する=めっちゃ英語が聞こえてくる、どこに行っても英語が飛び交ってるってイメージするじゃないですか、
でも私の最初のアメリカ生活では、一歩家の外に出るとスペイン語が飛び交っていました。
町にある一番大きなスーパーもメキシカンスーパーだし、色々なサインとか張り紙とかも英語も書かれてますがスペイン語が多いしで、
イメージとのギャップが大きかったですね。
あとアメリカの生活で私がイメージしていたのは、
ご近所さんとか周りの人たちがとても陽気で、
お隣さんとかとも、「Hi John, Good morning!」「Hi Emily, how are you?」みたいな、みんな気さくで仲良くなってみたいな
そこで英語も話せるようになっていって…みたな感じだったんですが、
実際は、その地域エリアの特徴でもありますけど、
小さな町だったのもあって、既にあるヒスパニックコミュニティ、メキシカンコミュニティみたいなのが強くて、
アジア人は全然見かけくて、おそらく周りからしても私達日本人は特殊で、
ちょっと距離があったというか、
簡単に仲良くなれそうな雰囲気ではなくて、
ん、ちょっと想像していたのと違うぞ。って感じは持ちました。
当時、こっちに来たばかりで、私も英語もスペイン語も全然わからないし、
シャイというか、シャイではないか、全然勝手がわからない、どう人とコミュニケーション取っていいかわからない状態だったってことも原因でしょうね。
今の私の経験値と英語力、そして少しのスペイン語力で同じ町に住んだら、もっと積極的に色々できたかもなー、
周りと関わって暮らせたなって思います。
結果、受け身passiveではダメなんだなってことですよ。
うん、当時の私に言ってあげたい。
その受け身、待ってるだけじゃダメっていうのに関連するんですけど、
アメリカに住んでたら英語が自然と身につくと思ってましたが、それは大きな間違いでしたね。
外国に住んでいる人、住んだことがある人はみんな同じことを口を揃えて言いますが、
言語は住んでいるだけでは話せるようになりません。
自分から勉強したり、話せるように努力しないと、
あ、気づいたらペラペラだったーなんて、ならないですね。
赤ちゃんの頃からバイリンガル環境で育ったとかならそういうこともあり得るかもですけど、
大人になって海外に住んで、自然と言語が身につくことは無いです。
そう、だから想像してたのは、きっと数年後には私英語ペラペラだわ。ってことですが、
現実はそう甘くはありませんでした。
こんなにも英語で四苦八苦するとはね。
で、その英語ができないために、何かあると旦那さんに頼る生活で、
私がもっと勉強しないのが悪いんですが、旦那さんがいないと1人では何もできないみたいな、
なんて自分はダメなんだ。みたな、自信がなくなることが多くて、
けっこう私ネガティブな一面もあるので、
落ち込むことも多かったですね。
今は、少しずつ英語も話せるようになってきて、
少しずつできることも増えていって、なんとか心穏やかにやってますけど。
英語については想像が甘かったなって思いますね。
全体的には、日本と比べてやっぱり個々、個人を大切にするっていうカルチャーが、少しはテレビとか出みたりして考え方とかが違うっていうのは知ってましたけど、
実際に生活してみると、
全然日本とは違うんだなってことが多くありますね。
どっちがいいかって良く聞かれたり、話題になってたりしますけど、
どちらのカルチャーにも良いところがあって、
日本の周りの人を気にかけるっていう考え方はとても好きで、和を大切にするっていうね、すごくいいと思いますけど
日本で育ってきてそれに慣れてますしね、
でもアメリカの生活に慣れると、
その日本の周りに気を使うのがtoo muchだなって思えることもすごくあって、
日本にいたころは当たり前のように考えていたことでも、
こっちに来てからは、
いや、そこまで周りに合わせなくても、自分がこう思ったならそう行動すればいいじゃんっていう
アメリカ的な考え方もするようになりました。
未だによくね、どこまで自分の考えを押し通していいのかって迷うことが日々の生活でありますが、
でも日本にいたころよりは考え方がけっこう変わったんじゃないかなって思います。
やっぱり想像していただけではなくて、実際に暮らすことで自分の中にある考え方とかの思考にも大きく影響がでるんだなって思いますね。
はい、ということで、今日は私がアメリカで暮らすことになった経緯や来る前、来た後に感じたことなどをお話してみました。
なかなかパーソナルな詳細な話でしたが、
どうでしたでしょうか。
振り返って話すのって楽しいですね。
またね、これまでの私の人生、アメリカに来てからのこともですし、日本にいた頃、若い頃のことも含めて、
色々お話していければなと思います。
このコーナーでは引き続き皆さんからの質問を募集しています。
お気軽にどんなことでもいいので質問いただけると嬉しいです。お待ちしています。
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